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Kenji Yoshida
- La Vie

Featuring artists whom are or who's work relates to the Asian style.

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Kenji Yoshida – La Vie

Kenji Yoshida picture

吉田堅治 『生命Inochi』を描きつづけた孤高の画家 (1924-2009)

The works of Kenji Yoshida, who died of cancer at aged 84, could reduce viewers to a reverent silence or even tears. Those who came to know and love his paintings never lost their devotion.
(Obituary, Kenji Yoshida, by Lawrence Smith,
The Guardian, Sunday 15 March 2009)

Artist of the Soul



Kenji Yoshida 吉田堅治spent good part of his creative years in Paris. Prior to introducing this established artist on my art page, I asked my old friend Tackey to write something about him. He is one of the few people I know of who had direct contact with the artist, and is a friend of the artist’s daughter.

From Tackey’s renderings of the late artist , it is apparent that he became one that loved Yoshida’s paintings from the moment he saw them and never lost his devotion.

I had never heard of Kenji Yoshida until Tackey told me about him after the artist’s death in 2009. Tackey gave me a couple of DVDs about Yoshida’s artworks, a small part of which you will see in the YouTube video below.

Although I know little about Yoshida’s war experience, I can somewhat relate to him through my father and father-in-law. They were both born in 1918, only six months apart by birth, and fought across the Pacific Ocean in the 1940’s. Early this year my mother-in-law passed away, the last of the old generation in my family. As we went through her estates, we came across a Japanese flag hidden among father-in-law’s possessions. Nobody had heard about it. The name of a Japanese soldier was sewn on the flag. We decided to return it to the soldier’s offspring if it all possible, knowing how something like it would make symbolic importance to surviving family. Flag (Click here to see the flag, F118)

I was told Yoshida used to use black paint (and ink) to depict his life-long theme, la vie (life), but decided to use gold and silver leafs later. I recall somewhere in the “Artist of the Soul” DVD, one of the commentators said that Yoshida’s metal paintings transform into totally different moods, depending upon the time of day due to variation in intensity of light. I try hard to create that image in my head, but am not satisfied. One of these days, I’ve got to find myself surrounded by his real artworks, whether in Europe, Japan, or the U.S.

Chizuko Tsukamoto-Jaggard, On Mother’s Day, 2014

Kenji Yoshida Website in Japanese
( いのちと平和 画家吉田堅治ホームページ)

Kenji Yoshida – October Gallery
 (吉田堅治 英国オクトーバー・ギャラリー)

『吉田堅治さんの思い出』

1979年の10月に、家族とスイス、オーストリアに行きました。家族はそこで日本に帰ったのですが、ぼくはそのまま1人でウイーンからパリ経由、 ロンドン、アイランド1周旅行に出かけました。

その際、パリの吉田さんのアトリエ兼アパートに1泊させていただきました。吉田さんとはその時が初対面で、また、最後の対面となりました。

アパートでは吉田さんの奥さんの手料理をご馳走になりながら、夜遅くまで様々な話題に話は尽きませんでした。

細かい点までは覚えていませんが、話はやはり吉田さんの芸術論、美術論が中心だったように思います。

ギリシャ、ローマ文明とそれを受け継ぐ西欧文明は絵画では写実や遠近法を、また、音楽では楽譜やハーモニーなどを発明した。もし、西欧以外の国々( 日本を含む)が西欧と接触することがなかったのなら、今でもこれらの技法を知らないままだったのではないかということになりました。

ただ、吉田さんは写実については、確かにデューラーやレンブラントの写実はすごいが、日本でも例えば、鎌倉時代の空也上人像(六波羅蜜寺蔵) などの写実は西洋の写実に一歩も引けをとっていないということでした。

寝たのは天井の高い、吉田さんの作品が溢れたアトリエでした。

その後、吉田さんが亡くなるまで、クリスマスカードや季節ごとのカードを毎年欠かさずいただきました。 それらは、全て芸術作品と呼べるような、手作りの非常に凝ったカードで、いただくたびに感動ものでした。 もちろん、手紙でも吉田さんとのやりとりは結構ありました。

また、吉田堅治さんは1993年に大英博物館で、生存中の芸術家としては同館では初めてとなる個展を開催していますが、ぼくはその作品紹介を兼ねた パンフレットの中で、何点か吉田さんについての評論を日本語訳 するうえでお手伝いをしています。

少し話が逸れますが、吉田堅治さんの最大の理解者、また、作品の最大のコレクターの一人に、俳優・脚本家・監督のAdrian Dunbarがいます。北アイルラ ンド出身のAdrian Dunbarは、1992年のイギリス映画、The Crying Gameで、IRAの指導者を演じていますが、現在はアイルランドのSligoの近くに住んでいます。その家の中の壁は吉田さんの作品と、毎年もらうクリスマスカードやその他のカードで埋め尽くされているということです。

2010年の3月に、吉田さんのPrivate Curator兼AgentのJose Ferez Kuriがパリで急逝した際、知人が集まって、サクレクール寺院そばのレストランで故人を忍ぶ食事会があったのですが、ぼく はたまたまAdrian Dunbarのとなりで、いろいろな話をすることができました。 その中で、Adrian DunbarはArsenal Football Clubの大ファンだと言っていました。その時(今もだと思うのですが)のヘッドコーチはフランス人ベ ルゲンで、一時期、日本代表 の監督になると噂されていたので、そのことで話が盛り上がりました。(アーセナルが手放してくれたら日本の監督になれたのに、などなどと。) ぼくが次に吉田さんのアパート兼アトリエに入ったのは、吉田さんが亡くなってほぼ1年が経った2010年2月のことでした。1980年からは 30年が経っていましたが、部屋やアトリエは何一つ変わっていないようでした。 居間に掛けてある吉田さんの絵や家具、机などは皆、同じで、時間が止まったようでした。 この時、吉田さんのアパート兼アトリエに行ったのは、上記の、Jose Ferez Kuriがアパートを引き払って、作品を倉庫に移すための準備と、NHKのドキュメンタリー番組『孤高の画家』(2010年8月放送、新田義貴さ ん がディレクター)の立ち会いなどのためでした。

2月から3月にかけて断続的に1か月ほど、このアトリエやアパートに滞在し、主に、Jose Ferez Kuriのお手伝いなどをしていました。 Joseがセッティングした、モンパルナス墓地で行われた吉田さんの一周忌、及び食事会はNHKが取材するとともに、吉田さんのもう一人の理解 者である、フランスの俳優、ジャン=マルク・バールも来ていました。 ジャン=マルク・バールは1988年の映画、「Le Grand Bleu」で主人公、ジャック・マイヨール役を演じています。 そのJose Ferez Kuriは、吉田さんの作品を収蔵する倉庫を決めてからすぐ、3月中ごろにパリの路上で急逝してしまいました。吉田さんのお嬢さんは。すぐにパ リへ引き返し、病院の遺体安置所で対面しました。

Jose Ferez Kuriは2か月近く、アメリカから若い画学生を2人呼び寄せ、吉田さんの全作品のデータ化などの仕事をやっていましたが、新田さんはそれを取材 しながら、本当のプロ中のプロだと感心していました。

その後、2011年7月に、日本での没後初めてとなる吉田堅治さんの個展が鎌倉の鶴岡八幡宮で開催されました。

その時、ぼくが高校、大学の陸上部のOBに呼びかけて、個展鑑賞と懇親会をやったのですが、その際、鎌倉在住の先輩に鎌倉を案内してもらお うという散歩の会を開催しました。その時の参加者は10人ほどでした。

その散歩の会は今年は第4回となるのですが、参加者は70名近くになります。鎌倉幕府を滅ぼした新田義貞の戦跡を訪ねることもあり、新田義 貞の直系の子孫でもある、新田義貴さんにゲストスピーカーとしてお話しいただくことになりました。その中で、吉田堅治さんのお話しも出てくると思います。

Norio Takimoto, aka, Tackey in Tokyo