先週、30マイル離れたピオリア市のアンテイーク・ショップで「腰掛ける巫女」を見つけました。
その前日、石ノ森章太郎先生の「日本の歴史2」の巻末解説に載っていた東京国立博物館所蔵・重要文化財の「腰掛ける巫女」の写真を見ていたので、それに酷似の埴輪像が目に留まったのでした。
骨董屋のご主人は、この土像が何たるか知る由もなく、”Clay Man”(粘土製の男性像)と名づけて売っていました。まあ、確かにあの埴輪は男女見分けがたしという感を免れません。また、あれがまさか日本のものだとも思っていなかったでしょう。米人の多くはメキシコの土偶と思っていたらしいです。私は、即、購入しました。
重要文化財の埴輪の巫女と私がアンテイークショップで入手した土偶とは色々差があります。本物は68センチ丈。私のは45センチ。両方とも台座の横に四角穴が空いていますが、私の台座は一枚の粘土を四角い筒にして横に穴をあけた態ですが、弥生の埴輪は穴の開いた側面が奥まっています。私の像の両腕は本物より高い位置にあります。また、私の埴輪の顔は丸顔でぽっちゃりとしいて、目が小さく細い、といったところが瞬時に見て取れる違いでしょう。
それよりも、私はこの埴輪がどうしてセントラル・イリノイに現れたのか興味をそそられました。セントラル・イリノイの日本人移民の歴史は非情に浅いのです。1950年代にやってきた戦争花嫁以前の日本人の記録はほとんどありません。購入した土偶は、ずっしり重く、空洞には蜘蛛の巣がたまっていました。素人目には少なくとも50・60年くらい前のものと見うけられました。
終戦後、占領軍が日本から持ってきたのでしょうか?
美大の生徒が作ったのでしょうか?誰が所有していたのでしょうか?
屋根裏部屋で眠っていたのを、整理して売りに出し、老夫婦はフロリダに引っ越したのでしょうか?
ひょっとして、以前耳にした前世紀初めにピオリアに“住んでいたらしい”日本人第一号の男性が持っていたものでしょうか?
埴輪ロマンは尽きません。