Archive for October, 2012

胡桃採り

Tuesday, October 23rd, 2012

今の家に15年前引っ越してきました。1エーカーの土地に老木が約100本あります。そのうちの約2割が黒胡桃(ブラック・ウォルナット)の木です。毎年、老木は痩せるばかりで、特に今年の旱魃は堪えたらしく、葉も出ない木が続出しました。それで、夏に胡桃の木4本を含めて、全部で9本伐採してもらいました。

毎年秋の紅葉の時期になると、胡桃の実が落ちて、落ち葉の中に胡桃が見え隠れします。今まで、胡桃の実を採ってみようと思ったのは引っ越し1年目の秋だけでした。珍しかったからです。でも、殻を包んでいる果肉の渋が強烈で、それがゴム手袋を浸透してしまうのです。指が茶色に染まってしまい、それが数日間取れないので、それだけの時間と労力を掛ける価値なしと判断して、その後見向きもしないで14年間を過ごしたました。ところが、今年の初め、シカゴに住む友人に胡桃の話をしたら、『千津子さん、胡桃は1ポンド15ドルもするのよ!もったいない。』との反応。それで、重い腰を上げて胡桃を収穫することにしました。

以前試みた時は、情報不足だったので、今回はネットで下調べをし、このプロセスを使うことにしました。http://rosesprodigalgarden.org/articles/processing%20black%20walnuts.html

まず、胡桃の実をバケツに一杯拾います。それをドライブウエイに空けて車で轢き潰します。タイヤで轢かれた胡桃は実(ナッツ)の部分と果肉を簡単に分ける事ができます。実だけをバケツにいれ、水洗いをします。水が真っ黒になるほど渋が出るので、何度か水を替えます。洗った実は、トレー(ザル、等)に移し、完全に乾かします。胡桃採りの時期は2~3週間に渡るので、その間夕方帰宅してから毎日作業に取り組みます。

乾いた実を容器に入れて6週間ほど暗い場所で寝かせます。それをしないとナッツが殻から上手く離れないからです。10月初旬に処理し始めた胡桃を収穫できるのが、早くて11月後半の感謝祭の頃になるということです。クリスマスのお菓子作りには間に合いますが、確かに労力と時間を要する作業です。また、胡桃の果肉は独特の臭いがあります。銀杏ほど不快ではありませんが、2メートル離れていてもムッとするような異臭です。それから、いつも近隣に住んでいるリスに食べ放題にさせている胡桃を今年は私が取ってしまったので、リスに嫌われるかもしれません。毎冬主人はリスの餌(乾燥とうもろこし、等)をお店で買っているのですが、今年は例年よりその出費が増えるかもしれません。(笑)

写真は、洗浄後乾燥させるためにトレーにのせた胡桃。

 

 

『飛行少年』

Sunday, October 14th, 2012

今日は、米国日本占領時に日本に派遣されていたイリノイ州の軍人が持ち帰った物の第2弾として、雑誌『飛行少年』を紹介します。

中部イリノイ州で日本語の古書に遭遇したのは、今回が初めてでした。はっきり言って、びっくりしました。手にした小冊子は大日本飛行協会発行の昭和19年5月号『飛行少年』でした。表紙右肩に「海軍兵学校蔵書」と「寄贈」の朱印。そして、「教官閲覧室」回覧表が貼付されていました。それが、どういう経緯でこの米国軍人の手に渡ったのかは、知る由もありませんが、よくぞ私に辿りついてくれたと、労をねぎらいたい感情が沸きました。

『飛行少年は』の表紙には第七巻第五号と打ってあり、翌年終戦とともに廃刊になったはずですから、8年間しか発行されなかったのでしょうか?

編輯室のメモによれば、「本誌も紙の制限で薄くなった」と書かれています。戦争がますます激化しているのが伺えます。5月号は、「海軍記念日特輯」で、全30頁の前半は世界の最新空母、戦艦、巡洋艦、飛行艇の情報が写真と挿絵入でぎっしりと埋められています。後半は、海鷲(海軍関連記事)5稿、そして、最後の稿は、『江田島海軍兵学校を訪ねて』でした。

江田島の名前は、聞いたことがありました。当地の日本人女性と結婚した男性が、1953年朝鮮から江田島に派遣されてそこで訓練を受けたのだそうです。当時大日本海軍の施設を米国海軍が使用していたのでしょう。その9年前の江田島で若い生徒たちの一日が手に取るように描写されています。その稿を添付します。

Etajima Article P1

 

Etajima Article Page 2

 

 

国民進軍歌

Sunday, October 7th, 2012

先日、某旧家が遺産整理をするというので、出かけてみました。ご主人が数年前他界されてから、奥さんが一人で住んでみえましたが、その方が亡くなられたので、家の中の遺品を遺族が販売したのです。

今まで、多数のそういう家を訪れましたが、今回はとても感動しました。というのは、ご主人が第二次世界大戦の実戦経験者だったらしく、テイニアン島の名入りの下駄や箸箱、日本無条件降伏を織り込んだクッション等が売りに出ていたからです。それ以上に私を驚嘆させたのは、米軍の日本占領時代にご主人が日本で集めて持ち帰った物の中にはっとする物が幾つかあったことです。それを少しずつ書いていきたいと思いますが、今日は、第一弾として『国民進軍歌』を紹介します。

その小さな桜色のハンカチは、ベッドに拡げて置いてありました。舞妓さんの後姿がプリントしてあったので、タダのお土産用ハンカチと思いきや、上半分に『国民進軍歌』の歌詞が刷り込んでありました。遺族の方たちは、まさかそんな歌詞が刷られているとは思わなかったのでしょう。タオルとか枕カバー等は畳んだままになっていましたが、この小さなハンカチは東洋の可愛らしい物としてよく見えるように拡げてあったのです。

Pink Handkerchief from 1940’s

 

この25センチ四方の布切れは、私に思わず『え~っ!』と、声をあげさせてしまいました。存在すら想像できなかったものとの出会いに、また、私の両親の世代が体験した戦争の証を目の当たりにして、唖然としました。即、購入し、家に帰って早速ネットで検索をしました。

『国民進軍歌』は1940年にビクターレコードが販売したレコードのA面の曲でした。さすがユーチューブ。オリジナル版を聴くことができます。その時まで一度も聞いたことがなかったので、終戦後、忘れ去られてしまったのでしょう。異国で、日本の歴史を垣間見る機会を得て、何か言葉にあらわすことが出来ない感慨に耽るのでした。

國民進軍歌 徳山璉・柴田睦陸・四家文子・中村淑子・児童合唱

作詩 光元篤之助  作曲 松田洋平
昭和15年

   この陽 この空 この光
アジアは明ける おごそかに
燃える希望の 一億が
傷痍の勇士、背に負うて
いま踏みしめる 第一歩
使命にこぞる 進軍だ

ハンカチを購入した時、息子さんらしい方(60代後半から70代前半?)とお話をしました。彼も私も直接第二次世界大戦を経験していないので、淡々と遺品について会話が出来ました。終戦後67年、米軍の日本占領が終わって60年。そして、私が米国に移住して四半世紀が経ちました。その間、一度も「以前の敵国の女」であることを思いこさせる会話や事件がなく、また、日本人ですと躊躇なく言えることが出来ました。広い心で生きていくことの大切さを再度噛み締めました。

Verse enlarged