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チコのブック・レビュー 『最後の留学生』大戦下米国留学生始末記 村田聖明 An Enemy Among Friends by Kiyoaki Murata

Friday, February 19th, 2016
『最後の留学生』大戦下米国留学生始末記 村田聖明

『最後の留学生』大戦下米国留学生始末記 村田聖明

兵庫県の地主の長男として生まれた村田青年は、1941年から足掛け7年をアメリカで過ごした。1941年6月、18歳の彼は、大伯母を頼って桑港(サンフランシスコ)に到着した。6ヶ月後、真珠湾攻撃で日米開戦になった。加州内地への自首移転、アリゾナの収容所生活を経て、1943年シカゴで勉学を開始した。文学士・修士号を取得後、1948年日本に帰国した。

彼の渡米目的は、「自分で稼いで勉強する」こと。即ち、アメリカで苦学して学位を取得することだった。アメリカに渡るためには、農場経営をする大伯母に保証人になってもらうより手はなかった。だが、できれば米国に到着次第、仕事を見つけたかった。だから、桑港の入国管理所で、第一種学生(本人・親類縁者に扶養能力があるため、就労できない)に指定された時は、たいそう落胆した。運命のいたずらと言うべきか、収容所に送られてから、大伯母からの財政援助が得られないとして、働ける身分に変更してもらった。最終的には、大学院の授業料は100%自力で稼いだ。

彼が米国留学を望んだ背景に、上海の東亜同文書院に留学を決めた親友の影響があった。「君が上海へ行くなら僕はその七倍も遠いアメリカへ行ってみせる」意気込みがあったと、彼は述べている。私は、1970年代にアイルランドに留学した経験がある。私の場合も、デンマークに向かう友人に張り合った記憶がある。同輩の与える影響は、大きい。

第二次世界大戦中の日系人の内地拘留については、色々な書物を読んでいたが、本書で初めて“自首移転”をした家族の話を聞いた。海岸から75マイルまでが第一軍事地域、75マイルより内地は第二地域に指定されていた。著者の大伯母と従業員たちは、第二地域に近い第一区域に住んでいた。「自主的に奥地に移動すれば収容所に行かなくてよい」と言われていたので、引っ越しをした。それにも関わらず、3か月後には、アリゾナ州のポストン収容所に送られた。当時の立ち退き命令が流動的だったことがわかる。

著者は当初2年近くを、カリフォルニア及びアリゾナの収容所で多くの日系人と生活を共にした。その頃の、彼の日系二世に対する意見は、興味深い。

1943年5月、彼が勉学のためシカゴに行った時、その400万都市には、日本人が200人しか住んでいなかったらしい。殆どのシカゴ住民は、日本人に会ったこともなかった。そのため、戦争中、西海岸の日系人が遭遇したような経験をすることがなかったのは、幸運であった。彼は、大学のキャンパスで、また、雑誌等で彼の意見を発表する機会があれば、積極的に投稿したりスピーチしている。堅固たる信条の持主であることが明白だ。

著者はあとがきの中で、本書を手掛けた動機について述べている。「あの太平洋戦争中、祖国が敵として戦うアメリカという国で、一人の日本青年がいかに自分を失わずして生き抜いていたかを伝えることであった」と。強い渡航目的があった。自活できるように、就労許可を得るための努力を続けた。断られても、断られても、敵性外国人の入学を許可してくれる大学を探し続けた。日本人のいないキャンパスに一人で踏み込んで行った。学業に一意専心した。

著者の留学体験記と比較して、私の留学の生ぬるさを心痛するばかりだ。特に、留学以前の日本に関する基礎知識が足りなかったことを悔いる。しかし、これを教訓にして若い世代を育てるよう尽力したいと希う気持ちが強まった。千津子