Archive for March, 2016

チコのブック・レビュー 『キッチン』吉村ばなな Banana Yoshimura

Sunday, March 20th, 2016
『キッチン』吉村ばなな Banana Yoshimura

『キッチン』吉村ばなな Banana Yoshimura

幼くして両親を亡くした桜井みかげは祖母と一緒に暮らしていた。大学生の時、その祖母も死んだ。田辺雄一と彼の母がみかげを引き取った。三人で暮らす間、みかげは独り立ちする決心をする。彼女が田辺家を出るとまもなく、雄一の母が亡くなった。二人の若者の死に対する恐怖と孤独との葛藤を描いた作品。

田辺家でみかげが過ごした半年間に、彼女は家族愛を再発見した。みかげにとって雄一の母の死は、祖母を失くしたときの衝撃より累乗的に大きかった。

<訃報を聞き、雄一に会いに行くみかげ。バスを降りて彼のアパートに向かう。>

“足を進めることを、生きてゆくことを心底投げ出したかった。きっと明日が来て、あさってが来て、そのうち来週がやって来てしまうにちがいない。それをこれほど面倒だと思ったことはない。きっとその時も自分が悲しい暗い気分の中を生きているだろう、そのことが心からいやだった。胸のうちが嵐なのに、淡々と夜道を歩く自分の映像がうっとうしかった。”

作品全体に流れる無気力。虚脱感。感情も声量も七割以下に控えたみかげの意識の流れ。彼女が描写する水面下の物憂げな黄昏色の世界に読者はどっぷりと浸かる。

感情が迸るのでもなく、身体を震わせて号泣するでもない。読者の潜在意識の中にしかなかったものをみかげが言語化すると、そこにほのかな灯りがともる。読者は、そんな微熱に作品中何度も何度も触れる。読了後、蓄積された熱量が勝利感とも言える安堵感に変わっている。不思議なことに、読者はその“勝ち“を覚えている。勝利の余韻は強い。

心が沈む時。喪失、敗北、失敗、羞恥、嫉妬。諸々の負現象に遭遇する時、もう一度手にしたくなる。あの時感じた微かな温もりを探すように。愛蔵書的存在。そこにこの作品の持久性があるのではないだろうか?

千津子

チコのブック・レビュー 『ガダラの豚』中島らも Ramo Nakajima

Tuesday, March 8th, 2016
『ガダラの豚』中島らも Ramo Nakajima

『ガダラの豚』中島らも Ramo Nakajima

アフリカの呪術医分野の研究に携わる大生部(おおうべ)教授は、テレビの特別番組の取材を兼ねて、家族と共にケニアへ向かった。一行は、タミナタトゥ村で大呪術師バキリと出会う。バキリは8年前その地で死んだはずの娘を呪具にしていた。娘を救い出して日本に連れ戻した大生部一家とその周囲に不気味な事故が相次いだ。

著者が本のタイトルを『ガダラの豚』とした意図を考えてみた。ガダラの豚は新約聖書のマタイ伝の一節に現れる。

イエスがガダラ人の地に着くと、悪霊につかれた二人が墓場から現れた。彼らがおびただしい豚の群れに入ると、群れ全体が、崖から海へなだれを打って駆け下り、水の中で死んでしまった。

本書は三部からなる。大生部の妻が、新興宗教(悪霊)に罹り洗脳された章にこれを引用していることから、著者はガ・豚を愚かな自殺行為をする民衆としたのではないだろうか。呪術は一般的に未開の土地に存在するような印象を与える。だが、悪霊は、時代や地理的位置にかかわらず、存在するということであろうか。

大生部教授は、「呪術は集団におけるホメオスタシス(精神的均衡)達成のための機構」で「実際的効果がある」と言う。人の心は、常に光(陽・楽しみ)と影(陰・苦しみ)の間で揺れ動いている。この二極性は複雑にもつれ合う。プラスがマイナスに変わる。知ることにより、苦から楽に移行できるかとおもうと、失うものが大きい。ここにバランサーとしての呪術登場。有史以来、呪術が存在するのは、そのためである。

読者をぐいぐいと引っ張っていくストーリー展開。特に、登場人物の交わす会話は、宗教、医学、言語、哲学等、多岐にわたり、高レベルの洞察力を持つ。それが、この作品に一層の重厚さを加えてるように思える。娯楽性の高い作品。お奨めです。千津子

チコのブック・レビュー 『江戸っ子芸者一代記』三部作 中村喜春 Kiharu Nakamura

Tuesday, March 8th, 2016
『江戸っ子芸者一代記』中村喜春 Kiharu Nakamura

『江戸っ子芸者一代記』中村喜春 Kiharu Nakamura

中村喜春(なかむら・きはる)[略歴・草思社]

1913年(大正2)年銀座生まれ。2004年没。16歳で新橋の芸者となり、お座敷をつとめながら専門学校で英語を習得。海外の著名人の接待や、戦後の進駐軍との通訳で活躍。1956年アメリカに渡る。オペラのコンサルタントをするかたわら小唄や長唄など日本の古典芸能を教え、コロンビア大学等で東洋哲学の講義もしていたが、ニューヨークで晩年を迎えた。

[青春篇]

芸者に憧れ、その道で芸を磨き、東京で唯一の英語の出来る芸者として売れっ子となった喜春。ある時、きっぱりと花柳界を去った。外交官と結婚し、インドへ向かう。1942年秋日本に戻った。

[戦後篇]

ビルマに発った夫の留守を預かり、大黒柱として家族を養うために奮闘。戦時中は疎開を繰り返し、戦後は語学力を活かし、通訳等の仕事もした。

[アメリカ篇]

日本社会の学歴偏重・世間体第一志向に耐えられなくなり、1956年渡米することで心機一転。実力主義のアメリカ社会で、彼女は自分を取り戻していった。

著者の魅力は、旺盛な好奇心と比類ない向上心に裏付けられた行動力だと思う。幼くして芸者になることを決め、芸の習得に打ち込む。外国の名士と話したい一心で、英語を修得。家族のために、ビジネスを始める。オペラに興味を持てば、とことん研究。彼女は、あらゆる分野で、プロに徹した。その過程で、彼女は積み木を載せていくように人格を構築していった。与えられた環境の中で、常に全力投球の姿勢を崩さなかった。

後年、彼女は言う。「あたしの一生は『雪だるま人生』」だったと。転がるほどに雪で大きくなり、その雪が彼女を守り役立ってくれる、と。言い得て然り。前向きに生きた魅力的な彼女の周りには、人が集まった。「毎日日の丸を背負っているみたいな使命感で」民間大使を続けた中村喜春さんに、エールを送りたい。

彼女は、アメリカ夫人の中に、“芸者”を見つけた。「アメリカの中流以上の奥様方の様子を見ていると『まるっきり芸者だなあ』と思います。彼女たちは、つまらないパーティにならないように、『売れっ子の芸者』のようにどの人もしらけさせないために、お客様のあいだをヒラリヒラリと飛びまわります。」これが彼女の定義する芸者。彼女がアメリカでアットホームに浸れた所以である。

恋あり、冒険あり、家族との軋轢あり。新橋の芸者口調で彼女の生き様を紹介してくれる喜春姐さんの『江戸っ子芸者一代記』、楽しめること、請け合いです!千津子