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チコのブック・レビュー 『孫文の女』西木正明 Masaaki Nishiki

Monday, April 11th, 2016
『孫文の女』西木正明 Masaaki Nishiki

『孫文の女』西木正明 Masaaki Nishiki

『孫文の女』には次の四作品が収録されている。

「アイアイの眼」

「ブラキストン殺人事件」
「オーロラ宮異聞」

「孫文の女」
この4編に明治生まれの5人の日本人女性が扱われている。そのうち「アイアイの眼」と「オーロラ宮異聞」の主人公2人は異国に住んだ。当ブック・レビューは、「アイアイの眼」に焦点を合わせてみる。

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田中イトは熊本県島原の貧しい漁村に生まれた。16歳の時、女衒に連れられてシンガポールに行き娼婦になった。その後、インドのボンベイで暫く働き、マダガスカル北端のディエゴ・スアレズ(現アンツィラナナ)に到着したのは22歳の時だった。1904年12月、ロシアのバルチック艦隊が極東に向かう途中、故障艦修理のためマダガスカルの小島に寄港した。イトは、日本人のレストラン経営者にロシア艦隊の秘密を聞き出すよう依頼された。

イトは所謂「からゆきさん」だった。この本を読むまで、私はそういう通称があることも、知らなかった。「アイアイの眼」と「オーロラ宮異聞」両編に登場する女性がともに熊本県天草諸島出身であったことに興味を持ち、調べてみて、突き当たった言葉だった。

からゆきさん」(唐行きさん)は、19世紀後半に東アジア東南アジアに渡って、娼婦として働いた日本人女性である。これらの女性の多くは熊本県天草諸島の出身であると言われている。(Wikipedia)

ある情報筋によれば、5万人ともいわれる女性が東南アジアを中心に海外の女郎屋で外貨稼ぎをしていたという。

著者はインタビューの中で、からゆきさんの島原地方出身者が多かった理由として、「聞く話では、キリスト教の影響がありますでしょう。西欧人に対しての忌避感があまりないという」と語っている。宗教が人に与える影響の一例と言えよう。

100余年も経った今でも、日本からシンガポール、ボンベイ、マダガスカルまで行くのは大変である。イトは、日本人の貿易拠点のある場所について廻った。マダガスカルに着いてからも、機会があれば知り合いの居るタンザニア沖のザンジバルまで行こうと考えていた。全長20メートル弱のダウ船で。

私は1970年代半ば一人でアイルランドに自費留学した経験がある。出発前、バイトをして旅費と学費を稼いだ。ダブリンでは、オーペアをした。帰国後、働いて借金を返済した。でも、イトさんの行動力の前には、平伏するのみ。

「オーロラ宮異聞」のオキクも7歳で孤児になり、朝鮮に売られ、満州各地を転々としながら、美貌と利発さを武器に馬賊の長にまでなった。関東軍とロシアの仲介に一役買って出ることになる運命だった。あの大胆さとしたたかさは、小気味よいとしか表現のしようがない。

不幸な環境ではあれ、こういう日本女性たちが、日本が開国して間もなくいたという事実。多くの読者は、それに驚きと頼もしさを感じるのではないだろうか?

イトの話に戻る。借金返済のために女衒に売られた彼女。シンガポール時代、その返済をしながら日本の家族に送金をした。家族からは何の連絡もなかった。自分は「口減らしのために売られた。」「もう親も親戚も、大日本帝国も関係なし」と割り切ったつもりだった。それでも、遠いマダガスカルの浜辺でインド洋を航行するダウ船を見ていると、その船がインドまで行けるならば、彼女を日本まで連れ帰ってくれる“はずだ”と、思ってしまう。また、日露戦争で善戦している日本を、誇りに思ったりもした。やはり、身体に流れる血は真っ正直だ。

若いロシア将校は、イトを無害の娼婦だと思ってバルチック艦隊の情報をペラペラと喋ってしまった。まさかそれが日本海軍まで届こうとは、夢にも思わなかったことだろう。昔も今も、そのあたりはあまり変わっていないのかもしれない。世の男性たちへの良い教訓と言えるのでは?

アイアイはマダガスカルだけに住む、目の大きな猿。小学校しか出ていないイトではあったが、機転を利かせてロシア将校からバルチック艦隊に関する機密情報を得た。著者は、それを眼光の強いアイアイの眼に例えたのだろう。作品の〆に、70年代に流行ったNHKの童謡「アイアイ」を引用したところは、憎いばかりだ。

著者のインタビューがネットに出ている。こちらも合わせてご照覧あれば、より理解が深まると思う。からゆきさんに興味のある読者は、山崎朋子著の『サンダカン八番娼館 – 底辺女性史序章』を読まれることをお勧めする。また、映画画監督今村昌平氏がマレーシアで会った元からゆきさんを追ったビデオの視聴も大いに参考になると思う。この作品は、貧困だけではなく部落民問題にも触れている。21世紀になった今も、売春や差別は、世界のいたる処で蔓延している。その意味で、本書に登場する女性たちにスポットライトを当てた西木氏に拍手を送りたい。千津子