チコのブック・レビュー 『村の名前』辻原登 Noboru Tsujihara

『村の名前』辻原登 "Mura no Namae" Noboru Tsujihara

『村の名前』辻原登 “Mura no Namae” Noboru Tsujihara

「よく分からなかったけど、面白かった。」と言う本は、沢山あります。でも、もう一度読んでみたいと思う本は珍しい。『村の名前』は、別格だった。再読した。それも、じっくりと。

著者の言う「村の名前」は桃源村。そう、陶淵明の『桃花源記』で語られる、架空の理想郷。

昔、漁師が迷って外界から隔離された村に入った。そこでは、何百年も前に戦乱を逃れて住み付いた人たちが、幸せに暮らしていた。桃花が村を包み、鶏や犬の鳴き声がのどかさを象徴する。村人たちは、漁師を歓迎した。数日滞在後、漁師は暇を乞う。村長が、村のことは口外無用と依頼して、送り出した。漁師は、帰り道に印をつけて、町に戻ると太守にその村のことを話した。太守は人を派遣して探させたが、誰も桃花源を見つけることはできなかった。

本著の舞台設定は、1990年前夜。日本の商社マン橘が、卸業者加藤の供をして、中国に行った。藺草の畳表を廉価で製造できる工場を探し、買い付けをするためだった。湖南省の長沙から現地人数人と、山奥の村に向かった。案内された所は、桃源県桃源村だった。村の要人は、連日鶏肉や中国酒で橘たちを歓迎する。彼らは、日本の資本で村を観光地化する計画を練っていた。肝心の、橘たちの目的である藺草工場は、お話にならないくらいひどいものだった。村は理想郷にほど遠く、彼らが到着した翌日、女性の死体が見つかった。橘は、歓迎会で料理を運ぶ女性に惹かれた。最後の饗宴で、犬肉が出された。橘は不本意ながらそれを食した。- 彼は、‘桃源界’に足を踏み入れた。

読者は、巧妙な描写にワクワクしながらページをめくる。しかし、‘煙に巻かれた’読後感がある。

桃源村に着くまでにも、橘の幻覚の兆候はあった。神出鬼没の西瓜売り。歪む景色。耳に纏わりつく不思議な微音。平和(?)の象徴的犬肉を食べたことにより、橘は『村の名前』版桃源郷に入る。そこは、時空を超越した一種のパラレル・ワールドだった。10才の少年がいる。同時に老いた83才の元少年もいる。川の土手が、橘の故郷の揖斐川のそれと交錯する。村の脱出計画を立てている、好きになった中国女との交わり。奥美濃の実家の庭にあった花盛りの桃の木の下で、女が赤ん坊を抱いて立っていた。近づいてみると、赤ん坊は橘自身だった、、、

私なりの解釈をしてみた。橘は、桃源郷での経験(幻覚?)を通して、子供から大人に成長したのではなかったか?私の、読み込み過ぎかもしれない。あなたは、どう思われますか?

千津子

Comments are closed.