チコのブック・レビュー 『遠い対岸』“ある帰米二世の回想”山城正雄著 To-oi Taigan by Masao Yamashiro

『遠い対岸』“ある帰米二世の回想”山城正雄著 To-oi Taigan by Masao Yamashiro 1984

『遠い対岸』“ある帰米二世の回想”山城正雄著 To-oi Taigan by Masao Yamashiro 1984

[1916年、ハワイのカウアイ島で生まれた著者は、小学校2年から16歳までを沖縄で過ごした。その後、ハワイに戻り、従兄の経営するパイナップル畑で働き始めた。色々な仕事に従事し、ホノルルを経てロサンジェルスに渡った。戦争が始まり、収容所に送られた。そこで、有志と同人誌を作った。米国に於ける日本人、日系人を観察して来た著者が回顧するアメリカにおけるあまり知られない日系人グループの移民史。1970年から邦字新聞『羅府新報』に連載したコラムを一冊の本にまとめたもの。]

幼い頃喋っていた言語は、違う言語環境に入ると失われてしまうことはよく知られている。著者は7歳から9年間英語圏を離れた。16歳でハワイに戻った時、英語は完全に喪失していた。言葉の壁は、ハワイに戻った著者に屈辱と羞恥心を植えつけ、久しく日系人社会から出る勇気をもぎ取った。

著者は、生きるために手に入る仕事なら何でもした。皿洗い、工場勤務、ドライドックのかんかん虫、ハウスボーイ、ヤードワーク、ウエイター、野菜売り、等。自活するだけでも大変なうえに、沖縄にいる弟の学費の仕送りもした。当時のホノルルの日系銀行は、ハワイの日系一世に対し、冷淡だったと著者は観察している。異国で働く日本人駐在員たちは、日本人移民を見下す傾向があったのだろう。

著者が描く当時の支那人を扱う章はとても興味深い。彼らは、米国移住者の先駆者的存在で、彼らの従事した職業の多くを日本人が受け継いだ。どうして中国人コミュニティが衰退していったか?日系一世のピクチャーブライド現象に新しい視点が生まれる。日系人が中国人から引き継いだ職業を、今度は移民後発の韓国人や他のアジア人が引き継いでいる。経済社会の縮図をみているようだ。

著者は移民一世は、正式なルートで移住してきた日本人と、密入国者からなっていたことを記している。共に、二世の陰で生きた世代(権利がなかったため)ではあるが、後者はよりしたたかさを有し、米国開拓史の「西部やフロンティアを生きた人々を彷彿させる」と述べている。米国移民一世を十把一絡げで考えない方が良いだろう。

日系二世の構造は、複雑だ。アメリカ生まれでアメリカ育ちの「純二世」。アメリカ生まれで、日本で教育を受けた後アメリカに戻った「帰米二世」。このグループを英語の出来る・出来ないにより分別することも可能である。加えて、アメリカにいる一世が日本から招いた「呼び寄せ二世」。市民権のある二世は、一世の事業の成立に不可欠だった。彼らの一部は、アラスカや南米へも移住した。

収容所生活を描いた章は、特に注意を払って読み進むべきだと思う。狭いスペースに詰め込まれた、多種多様の背景を持った日系人。人間関係の確執が噴き出る。自我が向き出しになり、派閥ができる。人を統制することの難しさが露呈する。

私にとって一番印象に残るコラムは、「日本刀も哀しい」章の中の『日本刀の光で奇襲わかる』だった。終戦間近。「玉砕」を決意した日本軍人。月夜の晩に武士の魂たる日本刀を挙げて敵に襲い掛かる。日本刀が月光で光り、それが連合軍に日本軍人の奇襲を教えた。この稿は、日本人の美徳を重んじる姿を痛烈に皮肉っている。日本を愛する著者であっても、太平洋を越えた“対岸”に住む者には、“井戸の外”から武士の美徳を観察することが出来るのだろう。

著者は、山崎豊子著『二つの祖国』のモデルになった伊丹明について多くのページを費やしている。日英両語に精通しているがゆえの悲劇。何という運命の皮肉。同じ帰米二世として、また、本人と知己のあった者として、著者の思いは複雑だ。異国に住む者にとって、祖国とは何か?を真剣に考えさせる説得力がある。『二つ…』と併せて読まれることをお薦めする。

最近読んだサンケイ新聞電子版に、日系人の日本観について面白い記事を見つけたので、ご紹介する。

『….日本人と日系米国人との間には亀裂があります。日本に住んでいる人は、日系米国人は親日であると思っているようですが、彼らは1942年の日米開戦後の日系人の強制収容所行きについては、日本が無謀にも真珠湾を攻撃したせいで日系人が大きな迷惑をこうむったと信じているので、一般的に親日的ではありません。また、最近の新一世が裕福な生活をしていることも、苦労して財や地位を築いてきた旧来の日系人を反日にする要因にもなっているようです。』(7.4.2016 サンケイ掲載[目良浩一の米西海岸レポート(3)])

私が米国移住して約30年になる。久しい昔に米国に移住してきた日本人の子孫である三・四・五世の日系人と、日本が経済的に立ち直ってから渡米した新一世(及び日本の駐在員)との関係は他のアジア諸国民と比べて薄いように感じられる。米国史で特異な悲しい経験を持つ日系人が、若い世代に先代の遺産を継承していくことが必要であることは、言わずもがな。その活動は続いている。だが、米国社会に於いて、特に現代のようなレーシャル(犯罪者)プロファイリングがのさばってきている時に、日系人は『モノ申す』と米国民に啖呵を切っているのだろうか?それができていない一因は、日系人の後裔と新一世たちとのつながりの薄さではないかと思う。

本著はLA在住の日系人向けに書かれた新聞稿であるため、一部読解しにくい表現や耳慣れないカタカナ言葉の頻出で、読みずらいことがあるのは否めない。冗長な文章もまま見受けられる。しかし、著者の洞察力と観察眼には読者を唸らせるだけのものがある。彼の描いた現象は、現代社会に多くの共通項を見出すことができる。地球レベルで国境を越える人口が増加している昨今。ビジネスのため。生きるために。結果として、第2、第3の祖国を持つ人たちが多くなった。祖国とは何か?米国に住む日本人・日系人必読の書。日系人の日本人観と日本人の日系人観の差を考えてみよう。そこから派生して、現代の難民問題に目を向けてみよう。千津子

 

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