二人の父に贈る言葉

2011年3月22日にアメリカの義父AJが亡くなりました。

葬儀の場で、長男の主人が父への送別の辞を読み上げました。最後の方で、私のことにも触れました。それが、私の義父への感謝の気持ちを簡潔に描写してくれていますので、引用します。

AJ was a veteran of WWII, but like so many veterans, rarely mentioned his experiences. On a rare occasion, he did share some of his experiences with Bruce.  I was aware that he had no love for the Japanese, so it was with a bit of trepidation that I introduced him to my future wife.  At the conclusion of the first evening of meeting her, he turned to her and said, “What on earth do you see in him?”  After being married, we brought a Japanese family to the house and he took them to a grassy field west of Yates City, opened the hangar, and took them for flights in his plane.  They were extremely excited and exclaimed, “Now this, this is America!”  My wife has always been grateful for the treatment she’s received from Dad and Uncle Bill.  They had been warriors who had fought against her country, but they always made her feel welcome and wanted.

by Tom  Jaggard, March 26, 2011.

[注:Bruceはウエストポイント陸軍士官学校に行った弟。Billは、主人の伯父。米国海軍軍人として第二次世界大戦に参戦。終戦時、沖縄沖で待機していた軍艦に乗っていました。19歳の若さでした。この伯父も昨秋亡くなりました。]

振り返れば、私が渡米したのが1988年ですから、私の人生の前半は日本の父が、そして後半はアメリカの父が近くにいてくれました。なんと幸運なことでしょうか。

7年前他界した日本の父と義父 は、同年 (1918年) 生まれでした。二人とも20代で第二次世界大戦を体験しました。父は中国に3年半駐屯後1943年日本に戻りました。それから終戦までは、三菱重工の大江工場(名古屋)でゼロ戦の部品製造に携わっていました。義父は1941年に米国海兵隊に志願するや、米国は6週間後に太平洋戦争に突入しています。入隊後、南太平洋から北上し、タラワ、ギルバート島、サイパン島、テニアン島で実戦を体験した後、1945年無事に故郷に戻りました。

義父の遺品の中に、地方新聞Peoria Journal-Transcriptの1941年12月7日付の日本米国に宣戦布告のページが見つかりました。世界大戦が与えた衝撃の大きさを、セピア色の新聞が語っています。

太平洋を挟んで、敵国人として戦う運命を負った二人の父でしたが、私に人としてどのように生きるかの指針を示してくれました。ありがとう。

Peoria Journal-Transcript, Dec. 7, 1941

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