中村喜春(なかむら・きはる)[略歴・草思社]
1913年(大正2)年銀座生まれ。2004年没。16歳で新橋の芸者となり、お座敷をつとめながら専門学校で英語を習得。海外の著名人の接待や、戦後の進駐軍との通訳で活躍。1956年アメリカに渡る。オペラのコンサルタントをするかたわら小唄や長唄など日本の古典芸能を教え、コロンビア大学等で東洋哲学の講義もしていたが、ニューヨークで晩年を迎えた。
[青春篇]
芸者に憧れ、その道で芸を磨き、東京で唯一の英語の出来る芸者として売れっ子となった喜春。ある時、きっぱりと花柳界を去った。外交官と結婚し、インドへ向かう。1942年秋日本に戻った。
[戦後篇]
ビルマに発った夫の留守を預かり、大黒柱として家族を養うために奮闘。戦時中は疎開を繰り返し、戦後は語学力を活かし、通訳等の仕事もした。
[アメリカ篇]
日本社会の学歴偏重・世間体第一志向に耐えられなくなり、1956年渡米することで心機一転。実力主義のアメリカ社会で、彼女は自分を取り戻していった。
著者の魅力は、旺盛な好奇心と比類ない向上心に裏付けられた行動力だと思う。幼くして芸者になることを決め、芸の習得に打ち込む。外国の名士と話したい一心で、英語を修得。家族のために、ビジネスを始める。オペラに興味を持てば、とことん研究。彼女は、あらゆる分野で、プロに徹した。その過程で、彼女は積み木を載せていくように人格を構築していった。与えられた環境の中で、常に全力投球の姿勢を崩さなかった。
後年、彼女は言う。「あたしの一生は『雪だるま人生』」だったと。転がるほどに雪で大きくなり、その雪が彼女を守り役立ってくれる、と。言い得て然り。前向きに生きた魅力的な彼女の周りには、人が集まった。「毎日日の丸を背負っているみたいな使命感で」民間大使を続けた中村喜春さんに、エールを送りたい。
彼女は、アメリカ夫人の中に、“芸者”を見つけた。「アメリカの中流以上の奥様方の様子を見ていると『まるっきり芸者だなあ』と思います。彼女たちは、つまらないパーティにならないように、『売れっ子の芸者』のようにどの人もしらけさせないために、お客様のあいだをヒラリヒラリと飛びまわります。」これが彼女の定義する芸者。彼女がアメリカでアットホームに浸れた所以である。
恋あり、冒険あり、家族との軋轢あり。新橋の芸者口調で彼女の生き様を紹介してくれる喜春姐さんの『江戸っ子芸者一代記』、楽しめること、請け合いです!千津子